実家の押入れ、天袋整理

ゴールデンウィークももう終わり。新型コロナも5類に変わり、これからどうなるのか不安も感じているところですが、連休中にテレビに映る多くの人出を観ながら、ようやく以前のような賑わいが戻ってきたのかなとホッとするところです。一方、観光地等では人手不足も顕著な状況が続いていることや、夜の繁華街ではまだまだ客足が戻っていないといった記事もありました。やはり多くの方々の生活環境が変わってしまっているのでしょうか。私も外で夜遅くまで飲むなんてことは本当に稀になりましたし、それが普通になっている。全てのことをコロナ前と同じ状態に戻す必要もないかなとも思いますし、今の生活のペースが当たり前になってしまうのかもしれませんね。
連休でも仕事に向き合っておられる方々も多かったと思います。当社の現場でもサービスが続けられています。幸いに大きな事故の報告もなく社員の皆さんには本当に感謝です。まだコロナが完全に終息したわけではありませんので、引き続き、ご自身ならびにご利用者の安全確保に十分注意して業務にあたっていただきたいと思います。

私自身、この期間中に特別なことは何もありませんでした。そもそも人込みや待つ事を好まないということもあると思いますし、家族もそれがわかっているようで「どこかへ出かけよう、連れて行って・・」といった発言も皆無。子供のクラブ活動の高校最後の大会がおこなわれたこともありますが、こちらは本を読んだり映画を観たりという時間が持てたことは有難い限りです。

いつもやらないことをやったと言えば、連休に入る直前にちょっとした用事があって実家に戻った時、少しずつ押入れの天袋などを片付け始めたほうが良いかなと思い、自分の部屋など一部に手を入れてきました。まだ母親も元気なんですが、物を捨てなさいと言ってもなかなかやらない人ですし、高いところには手も届かないと思い、まあ今のうちから少しずつと。まあいろんな物が出てきました。誰から頂いたか全くわからないような未開封の器やコップ。昔の写真や大学生時代に授業で使った教科書をはじめとした書籍類。おそらく東京から九州に転勤になった時のそのままの状態の荷物。また誰から買わされたかも覚えていないような教材。あとはレコード、私が聞いていた数枚と父親の分のジャズを中心としたものが数十枚など。一番驚いたのは奥のほうからエポック社の野球盤ゲームが出てきたこと。消える魔球機能も付いていないやつですし(若い方々にはわからないでしょうか)、おそらく50年くらい前のものだと思います。結構使い込んであったみたいですが、これで遊んだ覚えがあまりない。よくこんなものを捨てずにいたなと思いました。

そもそも父親はおもちゃなんか全く買ってくれない人でした。本人がそんなもので遊んだことがなかったから無関心だったのか、或いはただ無駄なものは一切買わないくらいに厳しくしていたのかわかりませんが、私も妹も買ってくれないことを当然のように受け入れていたんだと思います。生前にそんな質問もしたこともありません。今でも自分がゲームなんかには全く関心、興味が湧かないのもわかるような気がします。ただ酔っぱらって寿司や餃子なんかはよくお土産に買ってきていましたね。普段からも外食にはよく連れて行ってくれました。自分が常連のタバコで煙った喫茶店か飲み屋さんが大半でしたが、喜んでついていったことはよく覚えています。思いのほか感慨深くこれまでのことを思い返す機会となりました。

さて、天袋の荷物もまだ一部しか出せていないので、また時間を見つけてゆっくり続けようと思います。実家ももう50年になろうとしているし、自分が19歳で久留米を出てから既に40年。どこからどんな物が出てくるのかが怖くもあり、また楽しみでもありますが、出し終わったら今度はどうやって処分しようかということに頭を悩ませることになるのでしょうか。母親もまだまだ普通に動けることは有難く、洋服をはじめとしたような燃やせるもの等は少しずつ処分してくれと頼んできたところですが、やってくれるかどうか不安のほうが先行してしまいます。ケガをしない程度に少しずつ処分してくれれば良いのですが。

新入社員を迎えて

WBCは日本の活躍、優勝で盛り上がりましたね。全ての試合でいろいろな見どころを作ってくれた選手たちの活躍は本当に社会を明るくしてくれました。コロナに関してもマスクの着用が任意となり、徐々に活気が戻ってくるのではないかという期待感が出てきたようにも思えます。新しい年度を迎えたこの時期にこのような動きがあることは歓迎すべきことだと思います。春休みの博多駅はコロナ前以上に学生さんや外国の方で溢れているといった感じです。

3月末、当社でも2023年度に向けてのキックオフ大会を3年ぶりに対面で実施することができました。各事業責任者や事業所管理者100人以上に参加していただき、これからのことを共有。お互いの顔を見ながらの会はとても有意義だったのではないかと思います。また当日は新年度の新入社員も参加していただきました。例年を大きく上回る人数が入社。将来、当社を担ってもらえる人材としてしっかりと成長していってほしいと思いますし、育成していく会社としての責任は重大になってきます。心して受け入れなければといったところでしょうか。そして昨日、その新入社員の皆さんの入社式を無事に迎えることができました。私からは、一人前になることではなく一流のプロを目指してほしいこと、また素直さや謙虚さを持ち合わせた人ほど成長も早いといったことを伝えました。

テレビ等でも様々な企業での入社式の様子が取り上げられていました。中でも私が興味を持ったのは新入社員の方々の職場や職種に対する意識調査の結果。その調査結果では対象者の半分以上の方が「勤務地および職種(配属先)ともに自分の希望通りにしたい」とされていました。もちろん、学校で学んできたことを活かすといったことをはじめ、様々な背景があるのかと思います。また、会社を選ぶというより、選んだ職を通じて自分の能力を上げていくことを優先している方が増えてきたのではないかともされていました。企業側も希望を受け入れて職場を決めるというところもあるようで、私が入社した35年ほど前と比べると双方ともに意識や対応は随分と変わってきたものだと思いながら観ていました。

そこで頭に最初に浮かんだ私の疑問なのですが、もし希望通りの職種、職場に配属された後に自分の想定したものとギャップが大きかった場合はどうするのだろうかということ。希望通りに、ということが変わらなければ、この売り手市場においてはやはり転職を選択するということになるのでしょうか。その際、この会社、職場は客観的に誰が見ても本当にダメなのか、また自分自身の捉え方や考え方を変える必要があるのではないかという視点を持つことができるか否かも将来に大きく影響していくように思えます。

社会人としての経験がまだまだ短い時期に、自分自身の物事の捉え方や考え方が全て正しいのかを判断することはとても難しいことのように思います。一番やってほしくないのは自分の判断において100%「会社のせい」にして辞めてしまうこと。もちろんブラック企業と言われるような劣悪な職場環境やパワハラが当たり前になっているような会社、職場であれば早く去ったほうが良いのでしょうね。しかしながら、そうではない企業のほうが圧倒的に多いと思います。会社のせいにして辞めてしまうことは自分自身が何も変わらずに辞めてしまうこと。自分は悪くない、間違っていないという前提での組み立てになっているのであれば、おそらく次の会社、職場に行っても同じことが繰り返されると思います。これは何も新入社員、若手社員に限ることではなく、すべての世代で言えることでしょうか。

多くの社会人が自分の思い通りにならないということを幾度も経験されてきていると思います。だから「何があっても我慢して続けるべし」なんてことを言うつもりは全くありませんが、そんな状況をどうやって乗り越えていくのかということも成長の糧になるはずです。
私自身はどうだったのかと改めて考えてもみたのですが、当時やりたい仕事や職種があったのかと聞かれたら明確に答えることができないかもしれません。ただ、会社からは異なる複数の仕事の機会を与えてもらい、特に30代に入ってからは私なりに注力してきたことが大きくプラスに働いていると受け取っています。もちろん、今の立場や役割もしっかり楽しませてもらっているところです。

いずれにしても、当社の新入社員はもちろんのこと、世の新入社員の方々におかれては前途洋々たる船出であることは間違いないと思います。是非とも様々な視点をもって物事を判断していけるように成長しながら仕事を楽しんでいっていただきたいなと願うところです。

春の陽ざし 良いものです

陽ざしがすっかり春らしくなってきました。もう3月ですからね。
コロナやウクライナ侵攻も終わりが見えず、他にも嫌なニュースを耳にすることも多いのですが、季節が変わり、日に日に暖かく、明るくなっていくにつれて気分も変わっていくような気がします。

先日、65歳で定年退職を迎えるグループ会社社員に感謝状をお渡しする機会がありました。あらためて思ったのですが、我々が子供時代に抱えていた「65歳=おじいちゃん、おばあちゃん」のイメージは全くないということ。ご自身体力づくりにも励まれ、またたくさんのお孫さんにも囲まれ、いやいや本当に元気はつらつで過ごされているという印象。お仕事も引き続き頑張っていきたいと言っていただけることには心より感謝です。

ただ、介護という業界全体で、人材不足に加えスタッフの平均年齢が徐々に上がってきていることは皆さんも周知の通りで、これは当社でも決して例外ではありません。長く勤務いただけることは非常に有難く、会社としても意欲のある方に対してはできる限り応えていきたいと思っています。現に多くのベテランの方々が活躍しておられ、皆さんとても頼りになる存在となっています。一方でこれから5年、10年先を見据えたときに、若手から中堅の皆さんが中心となって会社を、そして職場を引っ張っていってもらうことも一層重要にもなってくると考えています。そこではベテランの方々が彼ら彼女らを支えていただき、また育成するという役割で活躍されている、そんな状態が理想かなと思います。
ただし言っているだけで実現するようなものではなく、会社として様々な仕組みを整えていくことが求められます。まずは我々が求める人物像を明らかにしていくことが重要になるでしょう。全世代で就労人口が減っていく中で採用に如何に注力していけるかに始まり、加えて育成の内容、また実行していくための体制づくりなど着手すべきことは山ほどあります。採用から育成に至るまで、まさにベテランの方々に活躍してもらわねばならない場でもあると思います。

私自身も6年間ほど管理者の方々とは勉強会などをおこなってきたのですが、これからは管理者に限らず多くの社員の方々とも一緒に考える場をもつ必要がありそうだと思っているところです。事業所の運営において管理者の存在、影響が大きいことに違いないのですが、更に管理者を支えていただく方々との考え方の共有があれば事業所も目的とするところに進みやすいのではないかということです。また同時に1人でも多く将来を担っていただけるような方が出てきてほしいという想いもあります。少しずつになると思いますが、着実に手を付けていきたいと思います。

さてさて、今日は多くの高校で卒業式がおこなわれているようですね。ここ数日、車での移動が多かったのですが、春の陽ざしの中でラジオでも春や卒業をテーマとした曲が多く紹介されていました。松田聖子さんの「制服」なんか久しぶりに耳にしたのですが、おそらく私が18~19歳ころに流行ったような気がします。自分の卒業式には何を歌ったのかなんて全く憶えていないのですが、こういう曲を聴くと当時のことも頭に浮かんできたりするのは不思議なものです。
私自身も還暦に手が届くような年齢になり、若いころには考えもしなかったようなことが頭を過ったりもします。若い時にもっとこうしておけば良かったなどと思ったりもするのですが、当時に戻れるはずもありません。一方で先を見ていこうとした際に老後の不安ばかりを数えていくのでは一層老け込んでしまうことは間違いないでしょう。最近では老後の過ごし方や準備などをテーマにした書籍もたくさん出されているようですが、なるようにしかならないのではないかと思ってしまう自分もいます。
やはり会社のこと、プライベートなことを含め「こうしたい、これがやりたい」を第一に考えて動いていくことを楽しみにしていきたい。いつまでも「おじいちゃん」を認めたくはありませんしね。

贅沢だった固定電話

年明けに母親の顔を見に実家を訪れた際「固定電話を解約しようかと思うけど」という相談がありました。その時には、かけてくる人もいるだろうからもう少し様子を見てはと答えておいたんです。しかしながらよく考えてみると、私や知り合いとの連絡も携帯で事足りているようですし、固定電話の月々の支払いは余計なものになっているのかもしれません。自分からかける場合には私自身も確かに固定電話を使わなくなったように思います。やはり不要になっているのでしょうか。実際に携帯電話だけの家庭も相当に多くなっていると聞きますよね。皆さんはいかがでしょうか。

固定電話といえば、私が今使っているものは40年前に大学に入ると同時に加入したものになります。加入にあたっては親から相当に抵抗された記憶があります。加入権が結構高額だったんですね。置かなくても問題ないだろうと。置かなければ私は常に公衆電話を使うことになり、また誰からも私には連絡が来ないという事態になってしまう。今では考えられないようなやりとりですが、親は何の疑問もなく「問題ないだろう」を繰り返していました。

留守電の機能すらないただのプッシュホンがスタート。確かに連絡を取りたい相手と自由に話せたのですが、お金のない学生の私にとっては月々の料金が非常に負担となってしまいました。当時は今のNTTしか存在せず、通話料金も遠方になればなるほど高額になっていく、そんな設定でした。皆さんはあまり経験がないかもしれませんが、料金が払えずというか意図的に払わずに「電話を止められる」ことが何回あったことか。仕送りはもらっていたものの風呂なしアパートの家賃と食べ物(多くは飲み代)に回っていましたし、クラブ活動でラグビーをやっていたので時間の制約からアルバイト代もごくわずかにしかなりませんでした。当時、私が先輩から受け継いだ池袋の肉屋さんでの時給のスタートが500円だったことは鮮明に覚えています。4年間やって540円までのアップ。しかも1日のバイトはクラブが終わって店に着いてから閉店までの1~2時間。毎月のバイト代はせいぜい20,000円程度だったでしょうか。あっという間に後輩たちとの飲み代に消えていきました。今考えると、なんでクラブ活動が最優先だったのかと冷静に見ることもできるのですが、当時は無意識にそれが当然だということだったんでしょうね。

通話料は高いと認識してから、月々数千円程度に収まるように頑張っている中、高校の後輩3人が大学受験で私のアパートを使うことになったんですね。私も不在にすることも多いので、滞在中は電話も自由に使わせていました。請求が来てビックリ、通常の何倍もの請求額。後輩も責められず、こんな金額払えるわけがないとガックリしたもんです。やはりしばらく電話が止められました。またある時は、大学の定期試験前で先輩から授業のノートのコピーが誰からか入手出来たら連絡をくれと頼まれていました(私もその講義には出ておらず)。私が全くの別件で用事があったため公衆電話から先輩の実家に電話したのですが、不運にも先輩が不在。直前にやはり私の電話が止められていたため、先輩はコピーが入手できたと思い込みわざわざ遠くから私のアパートまで車を飛ばしてこられました。項垂れた先輩に謝るしかなかったですね。

もしかすると、私の親はそんな状況になることを見切っていたのかもしれませんが、それでも固定電話が使えたことはありがたく、また贅沢だったのかもしれません。社会人になってからもしばらくは携帯電話などありませんでしたから、営業で外出する場合には定期的に事務所に「何か要件はないか」の電話を入れるようになっていました。まあ今では考えられないようなことばかりですかね。スマホ1台あれば通話機能のみならず様々なコミュニケーション手段が使えますし、サービスの内容次第では料金も相当に抑えらますよね。私の学生時代に現在と同様のサービスが使えたとすれば、私の人生にも大きく影響していたかもしれないかなと。まあ過去のタラレバを言っても何も変わりはしないのですが。今の学生さんたちが本当に羨ましい限りです。

仕事のほうも同じようなことが言えるのでしょう。今の状態を当たり前のように受け入れていても、それがこの先も同じように続くとは限りません。世界情勢やテクノロジーの進化、あるいは人口問題や格差社会といった多くの点で世の中が早いスピードで変化している訳ですから。これまでのことをきちんと振り返るとともに、これから何が起こるのかを先見していくことが何よりも求められていると思います。新年を迎えて再認識です。

増税先行への違和感

今年も残すところ2週間あまり。コロナやウクライナ侵攻等による影響も様々で、いつになく変化が大きかった1年であったように思えます。

ウクライナ侵攻が現実になっていることに加え、日本の近隣諸国の動きなどを背景に、ここにきて防衛費の増額に関する報道にも注目が集まっていますよね。なかでも年間4兆円あまりの増額分の財源をどこで安定的に確保していくのかということ。個人的には防衛費増額に対して否定的ではないのですが(もちろん実戦に至らぬよう外交関係を保てることが一番だと思いますが)、やるべきであろうことが取り組まれないうちに増税ありきということが先行することに疑問も湧いてきます。

法人税やタバコ税の増額、あるいは新税の創設といったことでの検討が始まっているようです。国民全員が薄く広く税をもって負担することを推す国会議員もおられるようですが、そもそも増税で賄う必要があるのかということに不透明感が否めません。国債での捻出という考えもあるようですが、これは負担責任を先延ばしするだけのように思えます。順番としては、まず何にいくら必要なのかも明示していただき、やるべきであろう歳出カット等がきちんと詰められることでしょうか。多くのことが説明不足で曖昧な中、先行して増税が協議されることには首を捻ってしまいます。国民は既に相当な社会保障費や税の負担を強いられていると思います。

歳出カットとなれば増え続ける医療や介護福祉といった費用にメスが入ってくることにもつながるでしょうね。この分野においては防衛費増額の議論がなくとも抑制が求められています。ただ、そこでの国の考え方や手の入れ方もどうにも腑に落ちない。病院、施設から在宅へという方針でありながらも一向に病床の数は減りません。また介護分野でも介護予防や軽度な方々ほど重度化防止に力を入れるべきかと思うのですが、逆にそこにかかる費用を重点的に抑制していくという考え方にも甚だ疑問ばかりです。

少し前に興味深い記事がありました。財政破綻した北海道の夕張市に関するものです。同市には170の病床をもった公立病院があったのですが、破綻後に病院はなくなり有床診療所(病床は19床以下と決められています)及び訪問診療での対応に移行され、また民間の医療法人に運営が委託されています。医療崩壊という大きな問題のように思えるのですが、結果として何が起こっているか。当然のことながら重度の救急患者は少し離れた市外の病院への搬送を余儀なくされているようです。興味深かったことは、移行前後で病床の数が減っても年間の死亡者数は変化がないことに加えて、死因として「老衰」が急増したというものでした。病院で死亡する場合においては肺炎などが死因とされるケースが多かったものが、在宅での看取りも増え老衰という診断が増えていったとされています。私にはよくわかりませんが、医師は病院内での死亡に関しては老衰という診断をつけないということのようです。

個人的には何らかの疾患をもっていながらも一番安心できる自宅で最期を迎えることができるのは非常にありがたいと思いますし、病床の再編などを通じて地域で医療費も減るのであれば問題どころか良いことなのではないかとも。人間、食べることができなくなったら最期だろうと思うのですが、皆さんはどう受けとめられるでしょうか。
コロナ禍の専用病床の一定数確保に関しては必要なことですが、将来に向けての歳出抑制を考えるにおいてはこの夕張市の状況なども大いに参考になるのではと思います。また先のブログでも触れた、子供を増やしていくことが国としての最大のテーマではないかということをはじめとして、多くの場面でお金の使い方が問われているように思えます。国庫のお金は湯水のように湧いて出てくるものではありませんしね。検討には様々な「壁」と思われる要素があるのかもしれませんが、とんでもない未来にならないように是非とも抜本的な取り組みをお願いしたいところです。

さて、この年末の最終出勤日は2年間控えていた納会もおこなうことになりました。また年明けからは会議やミーティングなども対面とリモートをうまく組み合わせながら進められることになります。コロナに対する社会の受け止め方も変化してきましたしね。新しい年はやはり「前向きに」ということに尽きるでしょうか。
どうぞ皆さんも健やかな良い1年をお迎えください。

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Author:asokaigo
麻生介護サービス株式会社の代表取締役社長 栁 倫明のブログです。

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